君が泣いてた 僕も泣きそうになった
だけどこらえて笑った 元気出せよと笑った
「友達のトモダチは」
大学は自由が多い。等とよく言われるが、一年生にソレは当てはまらない。
強制的に取らされる授業は結構な数になる。よって嫌々ながらもリーマンの通勤ラッシュに揉まれながら、学校へと向かわなくてはならない日もある。
時々ブレーキやカーブによる揺れなどで寄りかかられたり、足を踏まれたりするのが、俺の中にフラストレーションとして降り積もっていく。
家から学校まで5駅とはいえ……そろそろへこたれそうだ。
「あら、和っち」
抑揚の少ない、鳥の囀りの様な声が耳元で囁かれて思わず背筋がピン、と伸びた。
いつからいたんだ、この人?
「無視ですか? つれないですね」
つー、っと背筋を指が滑っていく。ゾクッとした寒気が体を通り抜けてった。って、冷静にしてる場合じゃないぃ!?
「氷雨さん、そういうのヤメロって!!」
俺は満員電車の中で無理やり全力で振り向いた。途端に集中する非難の視線。とりあえず無視。
さらりと流れる黒髪は腰近くまである。怜悧な瞳はまるで湖のように揺るがない。
涼宮氷雨。百瀬の友達だ。服はいつも黒なのでとても見つけやすい。
まあ、その前にこれだけ美人なら目立つからな。
「冷たいのですね。昨日はあんなに優しくしてくださったのに」
俯きながら俺の服の袖を弱々しく握る。上目遣いで声も震わせちゃったりしてる。
周りの視線が、ざわめきが痛い痛い。
その時ようやく大学のある駅に着く。助かったとばかりに俺は氷雨さんの手を引いて電車から飛び出すのだった。
しばらくあの時間の電車にゃ乗れんな……
「あっはははははは!!」
「笑い事じゃないっての」
今朝在った事を百瀬に話すと大爆笑してくれた。別に笑わすために言った訳じゃないのだが。
ちなみに今居る所は食堂だ。午前中は一緒の授業が無かったので、こうして食事を共にしている。最早習慣と化してしまった。
「氷雨ねー、和真の事すごい気に入ってるのよ。弟みたいだって言ってた。」
「同い年だろう……」
俺ってそんなにガキに見えるか?
「和真は仕草が時々すごく幼く見えるよ。構いたくなっちゃうのよね」
よっ、年上キラー。と、百瀬は棒読みで言った。
ひどく余計なお世話だ。大体同い年だっつてんだろうが。
「あ、幼いって言えば、今日ちびちゃん授業いなかったぞ」
「ちーちゃんなら寝坊。『和くん、今度ノート見せて〜』だって」
「またかよ。高く付くって言っといてくれ」
「支払いは体でするって」
ぶばっっ!!
思わず飲んでいた茶を噴出してしまった。百瀬にかからないように咄嗟に横を向けたのは僥倖だった。
また笑う百瀬。
「冗談よ、冗談。……それともその方が嬉しかった?」
恐る恐るといった感じで聞いてくる。上目遣いなのがなんとも……
「っ、俺にそっち方面の嗜好は無い」
ちびちゃんとは本当は智唯(ともい)というのだが、誰かがそれを"ちい"と読み、更にタッパが低いので"ちび"となったらしい。
つまり相当ボデーがロリィなのだ。
「そ、そうだよね。うん、よかった。和真がそうだったら私……」
あからさまにホッとしたって感じの顔で何かブツブツ言ってる。
何をそんなに心配してるのか知らんが、意外と友達甲斐の無いやつだな、オイ。
「しかしお前の友達は個性的だよな。氷雨さんといい、ちびちゃんといい」
「そう? でも楽しいでしょ。大学に入ってからの友達だけど、もうずっと前から友達だったみたいに感じてるわ」
「……いいな、それ。俺は交友関係狭いからな、羨ましい」
中学も高校もあまり人と関わらなかった。何故かは判らない。ただ興味が無かった。
きっと百瀬にあの時喧嘩売られなきゃ大学でも独りだっただろう。
「なーにニヤニヤしてるのよ」
「え? 俺笑ってた?」
「思い出し笑いは不気味だから止めなさいよ」
どうも気が緩んでいたみたいだ。気をつけないと。
「ね、今でも友達少ないの?」
「――嫌なこと聞くヤツだな。いねえよ」
「私達がいても?」
「私"達"?」
「そうよ、氷雨もちーちゃんも友達でしょ」
「あの二人はお前の友達だろ」
ハーっと深く溜息を付かれた。む、デジャ・ヴ?
「友達甲斐の無いヤツね〜。いい?」
ぐい、とテーブル越しにこちらに顔を寄せてくる。
「お、おい」
「和真はもう氷雨もちーちゃんも知ってる。逢った事もある。一緒に授業受けて、ご飯食べて、笑って、これで友達じゃなくて何だって言うのよ」
……………
ビっと俺に指を向けて百瀬は言った。
「『友達のトモダチはともだち』よ。しっかりメモしておきなさい」
ポツリときた。
「んあ?」
みるみる空が暗くなっていき、雨が降り出した。夕立だ。
「はぁ、ツイてないな」
朝晴れていたから傘なんか持って来てないし、折りたたみは嫌いだから持ち歩かない。
走って駆け抜けようにも駅まで少々遠いし、それが可能な雨足でもない。
八方塞だった。
……のんびり待ちますか。
ジャケットの内ポケットからジッポとタバコを取り出す。
フィリップモリス1mgのロングタイプ。色々試したけどこれが一番だ。
親父が昔吸っていたのと同じ銘柄だと気が付いたのはつい最近だったりする。
「ふー……」
雨、いつまで降るかな……
「和っち?」
「あれ、氷雨さん? もうとっくに授業終わってるんじゃ――」
つかつかと険しい顔をした氷雨さんがこっちに歩いてくる。
パシン、と手が叩かれてタバコが落ちる。
「ちょ、氷雨さ――」
ひんやりとした手が俺の頬に添えられて、俺の意識は一瞬トンでしまった。
「質問。和っちは何歳ですか?」
「は?」
何を藪から棒に……?
タバコのことで文句の一つも言ってやりたがったが、何か逆らい難いものを感じる。
「18、だけど。それが何か――いふぁい!?」
ぎゅ、っと頬を抓られた。すんごい痛いんですけど。
「和っち?」
「ふぁい」
「タバコは何歳からかしら?」
「ひひゅっふぁいれふ」
「そうね。和っちは18歳だったわね?」
更に抓る力が増した捻じりも追加される。
「どうして吸ってるのかしら?」
こ、怖い……っ
「わふぁりまひた。もうふいまへん」
声が相変わらず平坦なだけに余計に恐ろしかった。
ぎゅっ、と最後に一際強く抓ってからようやく氷雨さんは離してくれた。
「いたたた……。う〜ひどいよ、氷雨さん」
「自業自得でしょう。さあ、帰りますよ」
「あ、うん。いや、傘が無いから止むまで待ってるんだけど」
「ここに一本傘があるのだから一緒に使えばいいでしょう。和っち、お入りなさい」
お入りなさい、とは言葉ばかりで俺は氷雨さんに手を引かれてとっくに横に並んでいたりする。
そしてもう一度帰りましょう、と氷雨さんは言った。
静かな空間。聞こえるのは雨粒が傘を叩く音と二人分の足音。それと氷雨さんの息遣い。
握られた指先は伝わる体温を感じている。
氷雨さんが立ち止まった。
「? どうかした?」
「さっきは、ごめんなさい」
「え?」
「叩いたり、抓ったりしてしまったわ」
「……いや、俺が悪かったんだし、いいよ」
「でも……」
「ちゃんと俺の事心配してくれてるって判ったから。嬉しかったよ」
ぎゅっ、と痛いくらいに手が握り締められる。
「氷雨さん……?」
「……そんな、っ所まで、似てるのね」
氷雨さんは俯いていて表情を見ることはできない。
ただ、泣いているのだと何故かそう思った。
「氷雨さん……」
俺にできたのは手を握り返してあげる事だけだった。
今日は午前中の授業はないので、ゆっくりと朝を満喫させてもらった。
昨日の雨もキレイに止んで気分もいい。
昨日――
あの後俺と氷雨さんはしばらくした後再び歩き出した。
そして何となく気まずいまま別れてしまった。
「……氷雨さん、大丈夫かな」
俺で力に成れればいいんだけど。
「トモダチ、だもんな」
昨日百瀬が言ったことが思いだされる。
氷雨さんは俺を友達として見てくれてる。まだいくらだって知らない事はある。
だけど怒ってくれたし、手を握ってくれたし、……泣いてくれた。
なら、俺が、友達ができる事は――
「……和っち」
改札を抜けた所で氷雨さんが待っていた。
明らかにいつもより元気がない。
「や、氷雨さん。今から授業?」
俺は昨日の事は忘れない。でも自分から聞く事もしない。
なら、普通に振舞うまでだ。
「もしよかったら、一緒に行こうか」
いつか、自分から話してくれるまで、俺は待つよ。
「――ええ、行きましょうか。いらっしゃい、和っち」
氷雨さんはとても綺麗な笑顔を見せてくれた。
余談だが、手をつないで学校へ来た俺と氷雨さんを見て、百瀬の機嫌がすこぶる悪くなった。
……なんで?
2004.12.2
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