AM8:16









AM8:16
いつも通りの時間に電車がホームに滑り込んでくる。
いつも通りの前から三両目の一番前のドア。
「おはようございます」
「おはよう」
彼女は今日もそこにいる。







「相変わらず時間に正確ですね」
「キミもね」
ボクは彼女の名前を知らない。彼女もボクの名前を知らない。
あるきっかけから話をするようになっただけで、何も知らない人。
「そういえばキミ、そろそろ受験でしょ?」
「そうですね。後二月くらいしたら本格的に始まりますね」
彼女はボクを「キミ」と呼ぶ。ボクは彼女を「アナタ」と呼ぶ。
普通逆のような気もするけど、彼女の方が年上みたいだし……
「志望校はもう決まってるの?」
「いえ、まだ何とも……。近場にしたいと思ってるんですけどね」
アナタと離れたくありませんから、と心で呟く。
ボク達はそういう関係ではない。
「そんな曖昧な考えで大丈夫? 甘く見てると落ちるよ」
「一回落ちてますから、もう一回落ちるのは勘弁してほしいですね」
でも、それもよかったと思っている。
アナタに逢うことが出来たから。









その日は珍しく混んでいた。
ほとんど全方位密着状態で、少し体を動かすのも難しいくらいに。
生憎ここは弱冷車。そんなものではこの不快指数200%はどうにもならない。
でも一つだけいい事があった。
いつも隣にいる彼女ともほぼ密着状態であること。
彼女の髪からはフローラル系の爽やかな匂いがした。







彼女を初めて見たのは、AM8:16の電車に初めて乗ったときだった。
春物の若草色のブラウスと薄いピンクのロングスカート。
どちらかというと少し流行からずれているような気がしたが、そんな些細な事はすぐ気にならなくなった。
つり革を掴んで片手で本を読んでいる彼女の姿がとても絵になっていたから。
それからボクは毎日AM8:16の電車に乗った。乗り込むときに条件反射で目が彼女を探してしまう。
彼女の隣に勇気を出して並んだ時なんか膝が笑っていた。
後で思い返して、ストーカーっぽかったな、と少し反省。
でも結局彼女の隣に並ぶボク。
ただ、これまで通り話かけたりする事はなかった。
話すきっかけが無いし、ヘタしなくてもナンパにしか見えない。
まあ、これでもいいか……







ブレーキ音が耳を劈く。カーブに入ったらしい。
まるでドミノ倒しみたいに皆が同じ方向に傾く。いや、起き上がりこぼしか。ちょっと面白い。
「きゃっ!!」
彼女も僕のほうに倒れてくる。彼女の長い髪が顔の前で軽く揺れた。
「〜〜〜〜〜っ」
外見上は上手く取り繕えたかもしれないが、内心パニック寸前だった。
ザクッ
「ぐはぁ……」
そんな僕を正気に戻したのは、足の甲への一撃だった。
どうやら彼女のローヒールが突き刺さったらしい。天罰か?
「す、すいません。すぐどかしますから」
「あ、いえ、お気になさらず……」
彼女は足をどかそうとしているが、どうもうまい事足が人波に挟まってしまったらしく動かない。
「すいません、すいません……」
必死に謝る彼女。まあ、こればっかりは仕方ないだろう。
「いえ、大丈夫ですから。……あの、いつもこの時間に乗ってますよね」
何となく、話すなら今だと思った。
今を逃したら、またただ見ているだけになってしまうだろう。
「え? ええ……そういうアナタもいつもこの時間ですよね?」
彼女が知ってた!?
彼女にしてみたら隣にいつもいるから……くらいかもしれない。
でも、それでも嬉しかった。
その日はすぐに降りなきゃいけなかったので、あまり話をする事はできなかった。
次の日、電車に乗ると彼女の方から話しかけてくれた。









「おーい、大丈夫? キミ」
「あ、はい、ちょっとボーっとしてたみたいですね」
あれから彼女はボクを「キミ」と呼ぶようになり、ボクはいつも通りAM8:16に乗り続けている。
そして近頃ボクはもう一歩進みたいと思っている。
「受験近いんだから、夜更かしも程々にね」
「……勉強してたとは思ってくれないんですか?」
これからもAM8:16に乗り続ける為には、彼女と一緒にいる為には……
ここ数日考えに考えたセリフを放つ。
「そういえば、アナタは何処の大学に行ってるんですか? 参考までに聞いておきたいんですけど」
「私? 私はねー――」
彼女は僕が思ってたよりもあっさりと教えてくれた。
やはり何とも思われていないからだろうか。
「へー、結構レベル高いですね。志望校決まらなかったら、そこにしようかな」
「そんなやる気ナシで行けるほど楽な学校じゃないわよ」
今、この瞬間に、ボクのやる気は最高潮に達した。絶対にそこに行く。
学部も聞いてみると、偶然にも一緒だった。
「意外ですね。いつも本持ってるから文学部だと思ってました」
「それってすごい短絡的だと思うんだけど……」
二人して笑った。
腕時計をチラッと見る。後5分で駅につく。
「ま、できる限り頑張りますよ」
「うん、頑張りなさいよ」
アナウンスが流れる。電車が減速を始めた。
僕は胸ポケットから定期を取り出す。
「それじゃ、また明日」
「ええ、また明日ね」
ホームに降りたボクを彼女は手を振って見送ってくれた。
僕も手を振り返す。
電車が見えなくなってからホームを後にした。
冬だというのに体がアツかった。
明日、名前を聞こう。
今まで有耶無耶にしてきたけど、彼女の名前、知りたいし、
ボクの名前も、知って欲しい。













次の日も、その次の日も、ボクはAM8:16の電車に乗る。








再掲載2004.11.20



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過去の遺産でしたw

で、彼女側から書いた東堂さんのオマケがこちら

 

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