AM9:30

 

 

「あ、すごい。神崎部長のお茶、茶柱たってますよ」

 私はそういうふうに、どうしていつも他人の幸福ばかり先に見つけちゃうのかな。
「ん? ああ本当だね」
 日経を広げていた部長は、ちょろりと唐子の湯呑を眺めて、少し笑った。
「いいことあるといいね」
「ありますよ、きっと」
「ラッキーは最初に見つけた人間に降るもんだよ。はい朝刊ありがと」
「どうも」
 ペコンとお辞儀して、お盆と朝刊を小脇に挟んで給湯室に戻った。

 給湯室の流し台は戦場みたいになってる。
 灰皿。マグカップ。飲みかけのビールの缶。お茶のペットボトル。コンビニで売ってるおでんの器。お箸。
 私の一日はお台所仕事からはじまりマス。

「ごめんね、昨日みんな大戦だったのよぅ…」
 腕まくりして給湯器のボタンを押したら、城戸さんがちょこんと顔だけで覗き込んでいる。
「おはようございます。残業お疲れさまです」
「ごめんね、全部片付けさせちゃって」
「コーヒーできてますよ」
 私は振り返りざま、コーヒーメーカーに紙コップをセットした。
「サンキュね。…あ、それ朝刊? 部長んとこ持ってくの?」
「いいえ、もうご覧になったそうですから、これから応接室に」
「あたし持ってくよ」
「コーヒーこぼさんといてくださいね」
 私は、城戸さんの手にコーヒーと朝刊を渡した。

「アンタ受験勉強どうよ? ほら大学の夜間部を受験するんでしょ。そろそろクライマックスじゃないの」
「へっ?」
 城戸さんは器用にドアにもたれてる。
「―――そもそも、年いくつだっつったっけ?」
「23です」
「そんな年になっても、やっぱり大学に行きたいわけ? 高卒の肩書きはヤダ?」
「そうじゃないですけど、…高校の頃は両親が揉めてて進学どころじゃなかったし、大学ぐらいは自分の稼いだお金で勉強したいって思ったし」
 それに。

 私はちょっとだけ笑って見せた。
「いつも電車で逢う少年に、あの大学の学生だってウソついちゃいました」
 城戸さんは派手に笑った。
「あっは、それで引き返せないというわけね!」
「そんな簡単なもんでもないですけどね」
「どういうこと?」
「現実を見せつけてやりたいです。痛めつける、というか」

 あらあら物騒。城戸さんは茶化している。

「…年下で。予備校生ですけど。私よりはずっと頭もよさそうです。
 いつもここに来る途中の電車が同じなんです。
 私、あんまり受験勉強の時間はとれないから、なるべく電車の中じゃ本を読むことにしてるんです。そしたらその子、私のこと大学生と勘違いしたみたいで、つい私もそんなふうに話を合わせてしまって」

 城戸さんの顔から次第に笑顔が薄れてく。

「何処の大学ですかって訊かれたんです。だから私、はっとして、つい、自分が受ける大学の名前を云っちゃって。
 そしたらあの子、それじゃ自分もそこ受けようかなって云いました」

 蛇口からお湯。
 課のひとたちのマグカップを徹底的に洗う。泡が飛ぶ。手が荒れる。私の仕事。

「傲慢ですよ生意気です。勉強したくて大学に行く気ないんですよ、大卒のブランドが欲しいだけなんだわ。彼が毎日同じ電車に乗るのだって、勤勉じゃなくて私が目当て。
 あの子、私に恋してるんです。
 私の顔を見たくて電車に乗って、私を口説きたいから同じ大学に行きたいなーなんて思ってるんですよ。子供ですね。私そういう子供って大嫌い。その無駄な偏差値を分けて欲しいです全く」

 ふわりと飛んだ小さなシャボン玉が私の鼻先ではじけた。

「…だから、あの子、私の本当の姿を見たらどんな顔するでしょうね。自分が恰好よくひっかけようとした年上の美人女子大生が、実は、働きながら大学の二部を目指してて貯金して毎日寝ないで勉強してるOLだと知ったら! そのときの彼の顔が見てみたいですよ、あははー。ショボーンでしょうねえきっと」

「やめなよ、あんた」

 こつん。
 小さな拳で軽く、城戸さんは私の額を殴った。

「云いすぎ」

 

 

「…すいません」

 

 俯いた。

 

 

「自分のこと恥じてるのはアンタの方でしょう。自分の立場を気にしてるのはアンタの方じゃないの。あんたのこと見てドキドキしてる少年は、学生でも社会人でもないあんたの顔を見てドキドキしてるんだよ。そうでしょう? どうしてそんなにムキになって少年に対抗心燃やしてるのか云ってあげようか、教えてあげようか?」

「いいです。自覚ありますから」

 

 ざばざばと洗物を続けた。
 これが終わったら、朝一番で届いた社内メールを分別して、台車に乗せて各課を回らなくっちゃいけない。

「まったく、低血圧なんだから朝も早ょからエキサイティングな愚痴を聞かせるんじゃないわよ。しかもこんなしみったれたところで」
「すいません」
「今度、何か奢るわ。そのときにいろいろ聞いてあげるから。ストレス溜めちゃだめ。そういうのが一番よくないんだから、受験には」

 その日、帰る間際に城戸さんがあたしに囁いた。

「あした、電車で彼に逢ったら、『一緒にがんばろうねっ』って云いなさい」
「でも…あしたからは三連休です」
「じゃ連休明けでいいじゃないの―――あ、ちょうどいいじゃない、クリスマス!」

 何がちょうどいいのだろう。私は頬を膨らませた。
 そして、同じくらい自信のない胸を膨らませた。

 名前すら知らない私の将来の恋人は、私のことを許してくれたもうか。
 クリスマスイヴに免じて、微笑んでくれるだろうか。
 私と一緒に歩いてくれるだろうか。この先も。

 好きって云いたい、云ってみたい、
 愛してるって云ってみたい、すべての夢が叶うなら。

 

 そしてイヴの朝も、
 次の日も、その次の日も、私はAM8:16の電車に乗る。

 

2002.12.24

 再掲載2004.11.20


>makotoくんにお返しの巻。
>大人の女は手ごわいぜ青年、舐めてかかると火傷するよ。という話。でもハッピーエンド。

もともと「AM8:16」は今は無き東堂さんのONLY ONEに投稿したものでした。

自分の後書きの後にこれのリンクがあって、読んだら頭ブン殴られた気がしましたねw

↓のリンクはONLY ONEの跡地にいけます。どうするかはあなた次第…

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