2月14日――
と言えば、諸兄らが一喜一憂する日である。
自分の想い人からチョコをもらえるのだろうか。
はたまた回収率ゼロという悲しき時を過ごすのだろうか。
え……そこまで感傷的なものでもない?
ま、人それぞれということで。
俺、渋谷鳴海(しぶやなるみ)も一応心待ちにしている一人だったりする。
これでも毎年少なからず義理チョコを貰っている類の人間だ。
だが今年はさすがにチョコは望めないだろう。
なぜなら俺は今年高校3年生。
今は自主登校期間なので出席が危ないやつ以外は学校に来なくてもいいのだ。
そんな時に態々学校に来て渡さないだろうし(なんせ相手が来てるかわからない)、相手の家に行って義理チョコを渡す(そういや小学生の頃はいたような)酔狂な女の子もそういないだろう。
という考察により先に述べた結論に至るというわけだ。
ちなみに進路はもう決まっていたので勉強する必要もない。
つまり、非常に暇を持て余している状態ということだ。
まだダチのほとんどは進路が決まっていないので遊べない。
仕方なく俺は一人寂しく街をうろつく事にした。
「しっかしまあ……目障りな事で」
街はヴァレンタイン一色モードで鬱陶しい事この上ない。
所構わずイチャイチャしてる奴等を見ると問答無用で蹴ってしまいそうだ。
……嫉妬じゃないぞ。
俺の行く射線上を阻むカップルがいたのでとりあえず睨んどいたら、あっさり道を譲ってくれた。
「暴力で語り合う時代は終わったな……。これからは知能を駆使して――」
暴力批判説を呟いていた俺に襲い掛かる刺客!!
後ろから思いっきりシバキ倒された俺は薄っすらと湿る地面に見事にキスしてしまった。
「っつ〜……誰だ!! 俺の理想の体現を邪魔しようとする輩は!?」
立ち上がって振り返るが誰もいない。
辺りを見回しても返ってくるのは三白眼だけだった。
明らかに自分が電波入っていたと自覚した俺は、気まずくなって俯いた。
と、そこにさっきの俺と同じように顔面から地面に突っ込んでる奴がいることに気がついた。
コイツが犯人なのだろうか?
……とりあえず起こした方がいいよな、人道的見地からして。
「おい、あんた、大丈夫か?」
何回か揺さ振ってやるとようやく反応が返ってきた。
手を伸ばしてきたので、掴んで引っ張り上げる。
思っていたよりも相手は軽かった。
「さて、何故俺を暗殺しようとしたのか教えてもらおうか、って女の子!?」
そう、思ったよりも軽かったのは当然のこと。
ぶつかってきた相手は女の子だったのだ。
身長は150cmくらいだろう。
「しかし何故こんな少女がヒットマンに……」
くいくい、とコートの袖を引っ張られて俺は正気に返った。
いかん、また暴走する所だった。
「で、どうして俺にぶつかったんだ?」
それまでボケッと俺を見ていた少女は俺の問いかけに急にあたふたし始めた。
ポケットをごそごそやったり、肩にかけていた鞄を漁ったり。
あ、鞄からノートとか落とした。
そのまましゃがむので更にいろいろなものが落ちる。
コレぞまさしく自爆コンボだ!
少女は既に半泣きだった。
「はぁ……手伝う」
俺もしゃがんで落ちたものを集めだした。
ノート、ノート、ノート、ノート……
一体何冊入ってるんだ?
何となく中身が気になった俺は、ぱらぱらとページを捲った。
『すみません』
『ありがとうございます』
『駅はどちらですか?』
『はじめまして』
『こちらこそ、よろしくお願いします』
・
・
・
・
・
・
『君塚遥です』
ノートに書いてあったのは単語や単文だった。
「……喋れない、のか?」
呟くようにそういうと彼女は、一瞬動きを止め、そして何事も無かったかのように作業に戻った。
喉まででかかった謝罪の言葉をぐっ、と飲み込む。
謝るなら礼をしろと、この場合礼ではないから――
「なあ、君塚さん、か。なんでぶつかってきたのか知らないが、然程急ぎでないならそこんとこ含めてちょっと話しないか?」
「……?」
こくっと首を傾げる仕草がかわいくて俺は明後日の方を向いた。
そのまま話を続行する。
あまり深く考えてなかったけど、これってまるっきりナンパだな。
「で、どうだろう?」
『奢りですか?』
ぐっ、可愛い顔してちゃっかりしてる。
というかよく漢字で書けるな。
「おーけー。俺が誘ったんだ。奢ろう」
にっこり。
そんな擬音が聞こえてきそうなくらいの笑顔だ。
純白。
そんな言葉が似合いそうな。
……なんか自分がかなり汚れた存在のような気がする。
「……?」
「ああ、なんでもない。行こうか」
さてと、何処か適当な場所は……お。
少し通りを歩いた所にファミレス発見。
「あそこにしようか」
俺がそう言うと大きく頷いて君塚さんは俺の前を先導するように歩き出した。
誘っといてなんだが……無防備すぎるぞ。
簡単に誘いに乗っちゃって、誘拐でもされたらどーすんだ。
……やっぱり誘った人間の言うこっちゃないな。
「いらっしゃいませー!! 何名様でしょうか?」
多分ウェイトレスの彼女も「判りきった事言わすなボケ」とか思ってるに違いない。
そんな馬鹿な事を考えながら窓際の二人用の席に座った。
「さあ、好きなもん頼んでくれ。……謙虚な姿勢を忘れないでいてくれると非常に嬉しいぞ」
言葉の最後の方が尻すぼみになってしまい、彼女には聞こえなかったらしい。
見事に色々とを注文してくれた。
「ご注文を繰り返しまーす。イチゴパフェがお一つ。チーズケーキがお一つ。アイスの盛り合わせがお一つ。白玉ぜんざいがお一つ。杏仁豆腐がお一つ。コーヒーのホットがお二つ。以上でよろしいでしょうか?」
「よろしくないけど、よろしいです」
少し引きつった笑みを残してウェイトレスは去っていった。
……人の奢りで5品も注文するやつぁ初めてだぜ。
よくよく考えてみたらなんで奢ってるんだっけ?
「なあ、本当にそんなに食べれるのか?」
俺がもっとも現実的な質問をすると、君塚さんは一冊のノートを取り出した。
先ほど拾うのを手伝った色気も減ったくれもない大学ノートと違って、装丁のしっかりした質のいいノートだ。
表紙を捲って一ページ目に何か書き始めた。
ああ、コレが筆談ってやつか。
書き終わったらしい。
「ん〜なになに」
『甘いものは別腹って言いますよね。だから大丈夫です』
と、非常に非現実的に切り返してくれた。
それにしても、字が凄い綺麗だ。
字には結構その人の性格が出るって言うけど、その通りかな。
「……いいけどね。ね、普段よくナンパとかされたりするの?」
『されませんけど、どうしてですか?』
「誘われた後に奢りかどうか聞くタイミングが絶妙だったから」
君塚さんはキョトンした後、急に笑い出した。
「何か変なこと言ったか? 俺」
いいえ、と首を振り、
『奢りって言うのは冗談だったんです』
と、のたまった。
「冗談だった!? じゃあ、奢りは取りやめ――」
『一度言った事を撤回するなんて男らしくありませんよ』
くっ、痛いところを突く。
さらに『ダメなんですか?』と言わんばかりの上目遣い攻撃で俺、あっけなく陥落。
そして注文の品が運ばれてきた。
俺の前にはコーヒー。
彼女の前には俺の財布を軽くせんと鎮座する悪魔が5体。
「こうなったら嫌がらせにコーヒーおかわりしまくろうかな」
ミルクの入った鉄製の容器を手に取――ろうとしたのだが、その上から君塚さんに手を掴まれた。
小さくて、柔らかい手が俺の手を包んでいる。
温かい……。
ちょっとトリップ気味な俺にノートが差し出された。
「な、なに?」
『珈琲はブラックが一番です。ブラックで飲んでください』
彼女は漢字が好きなのだろうか?
「なんだ、人の飲み方にケチつけるのか?」
『ブラックで飲んでください』
「俺はミルクを入れないと飲めないんだが……」
『ブラックで』
「……了解」
促がされるままブラックで飲むことに。
う〜、苦いぞ。
とりあえずコーヒーをテーブルに置きなおして、俺は切り出した。
「それにしても、最初とずいぶん印象が違うな」
『あなたが信用できる人だと思ったからです』
「俺が信用できる? どこがさ?」
『私達障害者は、健常者が自分でできる事のうちのいくつかの事を行う事が出来ません。そういう時は頼るしかないんです』
「…………」
『私も声が出なくなって初めて障害者の気持ちが理解できました。そして自分達の冷たさも』
確かに、俺も正直な所そういう人たちとは関わり合いになりたくないと思ってる。
何かと面倒だし、周りからの視線も何か嫌な感じがするからだ。
そんな考えの俺が彼女に信用してもらっていいわけがない。
「そんなに簡単に人を信用しないほうがいい。外面がよくても、何考えてるかわかったもんじゃないぞ。君塚さんは女の子なんだから、そこらへん注意した方がいい」
君塚さんは赤くなった顔を隠すように下を向いて再び書き始めた。
『私も、ただノートを拾ってもらっただけなら信用したりしない。でも、あなたは私が話せないとわかった後でもこうして普通に話をしてくれている。だから信用できると思ったの。……それから私の事は遥でいいです』
くっ、なんてストレートな!!
無性に目の前に少女がいとおしくなって、抱きしめたいのを理性でキリキリと抑え付けながら話を更に続ける。
「だけど、そこに下心がない、っていう確証はあるのか? もしかしたら俺は……遥に酷い事をしようとしてる奴かもしれない」
『しようとしてるんですか?』
にっこりと、全てを見透かしているかのような柔らかい笑顔に俺は遂に全面降伏をした。
「まいった。正直、自分じゃよくわからないけど、信用に答えられるように努力する」
『はい、信用します。ところで、名前をまだ聞いてないんですけど……』
「……そういや言った記憶ないな。俺は渋谷鳴海だ」
遥に歳を聞いてみると17歳だと教えてくれた。
「同い年か。まあ、俺はもうすぐ18だけど」
『誕生日は近いんですか?』
「2月16日。後2日だな。遥は?」
『……4月1日です』
「おお、4月バカの日か〜って、いてっ!」
遥のブーツが俺の右の脛に見事に吸い込まれた。
どうやらタブーだったらしい。
『気にしてるんだから、言わないでください!!』
「はは、悪い悪い。……いつつ」
今、俺達を周りの人が見たなら、恋人同士に見てくれるだろうか。
彼女をからかって蹴られたバカな彼氏だろうか。
だと嬉しい……。
って、何勝手な事考えてんだ!?
頭をブンブン振る俺に怪訝な表情をする遥。
「ああ、すまない。別に気にしなくていいから食べてくれ。……いつのまに」
悪魔達が出現して僅か数十分。
彼らは遥の華奢な体に吸い込まれていった。
胃袋はぶらっくほーるなのだろうか
常にコレだけ食べるのなら、こいつの家のエンゲル係数は尋常ではないに違いない。
「……さて、でようか」
遥がコーヒーを飲み終えて一息ついた所で、俺達は外に出た。
会計は……さよなら稲造さん。
残るは漱石さん5枚だ。
「おー、雪降ってきたな。しかも結構なドカ雪……」
風がないせいか、雪は真っ直ぐに地面に落ちて消えていく。
何時から降っていたのか、街路樹の根元などには既に積もりだしていた。
「遥、傘持ってる?」
鞄の中を漁ってでてきたのは、あまり大きくない折り畳み傘。
「一つか……遥のなんだから、遥が使えばいい」
遥は無表情で傘をさすと、俺に持たせた。
そして俺の左腕を両手で抱え込む。
コート越しなのに遥の温かさを感じたような気がした。
「お、おい、遥。……いいのか?」
返事の代わりとばかりにぎゅっと体を押し付けてきた。
「とりあえずコンビニかなんかで傘買うまでな」
同じような事をしているのカップルを見た俺は、表面上平常心を保たせて歩きだした。
他の恋人達に紛れてしまえばあまり恥ずかしくないかもしれない。
道を歩いていて、ふと思い出した。
俺とぶつかった時、なぜ遥はそんな状態になったのだろうか。
「なあ、遥。俺と会った時さ、どうしてあんなに慌ててたんだ?」
それからの遥の表情百面相はちょいとした見物だった。
一瞬、何を言われたか判らないという顔をし、それが驚きに変わり、あたふたし始め、最後には瞳が潤み始めた。
「お〜い、遥、落ち着け。こんな所で泣きださんでくれよ」
感情爆発寸前だと気付いた俺は、慌てて遥を宥めた。
こんな天下の往来で女の子に泣かれた日にゃアンタ、当分の間街に出られなくなるぜ。
「なっ、訳アリなら手伝うぜ。『信用』してくれるんだろ?」
そう言うと遥は、さっきのノートを取り出した。
雪で濡れないように傘を傾けてやる。
『……道に迷ったんです』
「……はい?」
道に迷った?
「方向音痴で、記憶力ゼロとか?」
ファミレスで俺を襲った痛みが再び駆け巡る。
違うのか。
「えと、もしかして引っ越してきた?」
コクリと頷き、今日です、と書いた。
「なるほどね。で、何処に行きたかったんだ?」
遥がすっと一枚の紙切れを差し出してきた。
そこに書かれていた番地はとても慣れ親しんだものだった。
「なんだ。これウチの隣じゃないか」
そういや先月くらいにごたごたしてたっけ。
「でもさ、ってことは一人暮らしか?」
ウチのマンション、というかハイツは2LKである。
俺は諸々の都合で、家賃は高いがここに住んでいる。
『……お母さんと二人です。でも、後何日かしないと来れないって。私は学校の手続きとかで先に来ました』
二人か、父親の事聞いてみたい気もするけど、そうそう簡単に踏み入っていいものではないだろう。
『鳴海さんは一人暮らしなの?』
「ああ、部屋が一つじゃ持ち物納まりきらないから2LKにしてもらった」
家はそれなりに裕福だし、一人っ子なので齧れる脛は齧れるうちに齧っておくのだ。
そっか、そうだな、変なのは俺の方だな。
「ま、それはとにかく。どうする? このまま家まで帰るか、もう少しぶらついてみるか」
遥は少し逡巡した後、今日は帰るという事を決定した。
「ほい、到着。ここが俺んちで遥の家だ」
築4年程なので比較的新しい方だろう。
壁にもひび割れなどは見られない。
「何かあったら俺のところにくるといい。出来る限り何とかするから。それと俺居留守使う事あるからさ、インターホンは連続で三回鳴らしてくれ。俺はそれで遥か他人かを認識するから」
『はい、何から何までありがとうございます』
「ま、困った時はお互い様ってな。俺も餓死しかけで遥の所に行くかもしれないから、メシ作ってくれよ」
『お料理はそんなに自信ありませんけど……がんばります』
ぐっと握られた拳がかわいらしい。
「さて、そろそろお開きかな」
『近いうちにお礼させてもらいますね』
「ん、まあ期待せずに待ってるよ」
そう言うと彼女は悪戯を思いついた子供みたいな笑い方をした。
『そうそう、これ』
彼女が差し出したのは何処にでも売ってるような板チョコだった。
そういや、ヴァレンタインだって忘れてた。
俺がチョコを受け取ると、遥がその手を引っ張った。
「お、おい。危ないって」
咄嗟の事でバランスを取れなかった俺の体が傾き――
遥に抱きしめられた。
首に廻された手と、頬に感じる温かい感触。
キスされた。
「な、は、遥さん?」
遥はドアに体を隠して顔だけ出した。
唇がゆっくり動く。
『す・き』
その意味が頭に染み込むよりも早くドアが閉まった。
す・き?
すき……
好き……
つまりそれは……俺のことを好きだと。
10分後再機動を果たした俺に残されてたものは一枚の板チョコと彼女の感触。
たった一枚の板チョコだけど、今までに貰ってきた全てのチョコよりそれは価値があると思った。
同時に一ヵ月後にあるイベントに真剣に頭を悩まさなくてはならないと思ったのは、また別の話。
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